岐阜のウエディングドレス、タキシードの貸衣裳はドゥエ・ネガティボ

line

  • HOME >
  • Owner's Blog

8月12日に想う

2011-08-12

LIFE

今日8月12日は私にとっては忘れられない日です

ひとつは26年前の日本航空123便の御巣鷹山への墜落

26年前の今日も暑い一日でした
当時は東京の世田谷区若林というところに住んでいました
三軒茶屋や三宿の近くと言ったほうが分かり易いでしょうか

東京に出て初めて暮したのが、小さなマンション(岐阜の感覚ではアパートでした)
その名も 三原マンション でした
大家さんが最上階に住むこじんまりとしたところが気に入り
渋谷のアパマンで見て即決した賃貸物件です
ついこの間までは本籍にもしていた想い出深い場所です

話は戻りますが、12日の夕方に大家さんの奥さんが
慌てた感じでノックされ、「しばらく家を空けますから・・・」ということでした
東京は人間関係が冷たいと言いますが、それは誤解です
昔から住んでいいるひとは、実に気さくで親切です
わざわざお声を掛けていただいたのが悲劇の始まりでした

その日の夕方からは、日航機が群馬県方面で消息不明になったと
テレビはじめマスコミでは大変な騒ぎになっていました
しかし、それでもまだ詳細を知らないので他人事のような感じで
前代未聞の大惨事になるなんて想像もできませんでした

しかも、先程慌てて出掛けられた大家さんのところの
身内のかたが関係しているなんて・・・
多くの犠牲者の中に、スチュワーデス(当時の呼び方です)として
搭乗していたお嬢さんがいたんです
※まだ小さなお子さんがひとりいたとお聞きして
 私の家にも6月に生まれたばかりの長女がいたので
 本当にお気の毒なことと感じました

すでに嫁いでみえたので、お目にかかったことはありませんが
それを知ってからは、物凄く気分が落ち込んだのを今も鮮明に覚えています
それほど衝撃的な出来事でした
仕事の出張で全国に出向いていましたが、羽田沖の逆噴射もあり
日航機には一切乗らず、もっぱら全日空と東亜国内航空ばかりにしていたほどで
飛行機に乗る前には「これで最後か・・・」みたいに、覚悟がいるような当時の状況でした

あれから26年、生まれたばかりの我が家の長女は26歳になりました
その後日本航空の経営が行き詰まり、再生されたのは記憶に新しいところです

もうひとつの8月12日は、私事ですが父の誕生日で80歳になりました
昨日から2泊3日で、自ら運転して旅行にいくほど元気です
明日は一日遅れのバースデイーケーキを持って行きます
※今まで何となく照れ臭くて、ケーキで祝ったことがありませんが
 キリがいい今年こそはと思い、少しだけ顔を出してきます

今年も震災があり、命の大切さについて考えさせられましたが
お盆を迎えて、お亡くなりになった多くの方のご冥福を祈ります

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

[コメントをどうぞ]

2024年4月
« 3月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

category

recententries

recententries

Pagetop