岐阜のウエディングドレス、タキシードの貸衣裳はドゥエ・ネガティボ

line

  • HOME >
  • Owner's Blog

イチローは ICHIRO  だった

2019-03-22

LIFE

昨夜のマリナーズVSアスレチックを見た人も多いかと思いますが
本当に感動的なシーンが続きました。

現役生活 最後の打席

最後の打撃・・・・ショートゴロで、全力で一塁へ駆け抜けてアウト

大リーグだけで3089本、日米通算で4367本のヒットを量産した選手が
たった1本のヒットが打てなくて引退しました。

この場で語る必要もなく、日本の野球史上  最高の選手  であることはもちろん
メジヤーリーガーとしても傑出した選手の一人と言えます。

日本人では通用しないといわれた時代に、アメリカへ渡ったのがトルネードの野茂英雄投手。
ノーヒットノーランなど、輝かしい成績で、ストライキの影響で人気凋落の大リーグを救いました。

そして、野手として初めて挑戦したのが  イチロー
あの細い体で、巨漢ぞろいのメジャーリーガーと渡り合えるのか?

結果は、初年度から、新人王、首位打者、MVPと、絶対にマネの出来ない大活躍でした。
日本にいるときは、最後の二年はケガで戦列を外れることもありましが
メジャーに行ってからは、トレーニングを更に積んで、強靭な身体を作り上げました。

孤高の人と言われ、自分自身の記録にしか興味がないとも評されましたが
WBCでの熱い戦いは、今でも野球ファンの記憶に鮮烈に残っています。

昨夜の、東京ドームの演出も粋でした。
まるで映画のワンシーンを見ているような、球場全体が感動の渦に巻き込まれたような異空間に。
長嶋茂雄の後楽園球場での引退セレモニーが有名ですが
イチロー自身が一言も発しないのに、その想いが伝わるような、スタンディングオベーションは素晴らしい光景でした。
テレビを見ていても思ったのですから、球場で目撃した多くのファンは、生涯忘れられないと思います。

その後の会見は日にちをまたいで、長時間の質疑応答が行われましたが
日本のスポーツ選手の引退につきものの涙、涙の会見ではなく
※もちろん、目を潤ませて、感無量であるのは見て取れました。

超一流のアスリートとして、前人未到の開拓者として
凡人では到底理解が出来ない、雲の遥か上に位置する哲学者のような語り口でした。
時折ジョークを織り交ぜるのですが、聞き手の報道陣がイチローのスケールについていけてない感じでした。

引退はマリナーズの本拠地でも良かったと思いますが
敢えて、イチローを育んだ日本を選んだことも、彼流の恩返しかと思います。


アメリカから駆け付けた、イチメーターのエイミーさんも素敵でした。

日本で生まれた イチロー は
アメリカへ渡り ICHIRO になりました。

彼の、これからの人生も目が離せませんね

本当に長い間  お疲れさまでした。

 

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

[コメントをどうぞ]

2024年3月
« 2月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

category

recententries

recententries

Pagetop