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私の原点

2013-03-11

LIFE

今日は震災から2年の3月11日です

あの日はお店で接客しており、揺れ自体も感じることがなく
その後の報道で、事の重大さに声を失いました

原発事故も重なり、現代社会が受けたことのない程の
多くの尊い命の犠牲と、甚大な被害を受けました
あれから少しずつ復興してきてはいるものの

福島を中心とした避難されている方々の生活は
元に戻れるあてもない状況が続きます
新たな大規模地震などの危険も高まっていて

被害を受けなかった私たちも
いつ同じ状況になるのか分からないのが現実です
夕方のテレビで自らは末期がんに侵されながらも

抗がん剤治療をする時間を惜しんで
産婦人科として新たな命の誕生に立ち会う
そんな医師の姿を追っていました

先生の言葉が印象的です
子供には未来がある
その未来を作っていくのが
今の大人たちの責任です

私の原点と書いたのは

社会人になって、初めて一本立ちの営業マンとして
担当したのが東北、北関東でした
ですから、東北には特別な思いがあります

毎週土曜日の夜に東京の蒲田にある宿泊所に泊り
朝一の特急列車(まだ新幹線はありません)
で、福島県の郡山市に向かいました

地元のうすい百貨店というところの
紳士服売り場で、販売のお手伝いをするんです
常駐の派遣店員さんとは違い
週末だけのお手伝いと、翌日からの出張です

最初は東北弁がさっぱり理解できず
随分苦労しましたが、ホントに温かい人ばかりでした
そこで約一年経験させていただき、他の地区に異動しました

その後、東京でDCブランド系をスタートして
全国を新規開拓に廻りました

福島、会津若松、仙台、石巻、盛岡、八戸、一関
青森、秋田、山形、新庄

一通り歩きましたが、最初の郡山での経験が役に立ちました

お店のあるような大きな都市は、比較的内陸部に多いので
海岸線を行く機会は少なかったんですが
ニュースで見た石巻の光景は今でも忘れません

お取引先の店もあったはずの街が壊滅していました
福島ではシャツ生産をさせていただいていた仕入れ先さんが
全域避難地域となり、工場も同時に閉鎖されました

遠くにいる私ができることは限られていますが
こうしてあの日を忘れないようにすること
そして、自分の思いをブログに残していくこと

小さなことですが
これからも続けていきたいと思います

改めまして
多くの犠牲になられた方々と
大切な人を亡くされたご家族の皆さんに
心より哀悼の意をささげます
避難生活や、仮設住宅にお住いの皆さんの
一日も早い復興をお祈りいたします

私の原点である東北
その東北の皆さんが元気になれますように・・・・

 

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コメント

  1. 匿名 より:

    私の祖母は福島の出身です。
    私のルーツはそこにあります。
    小さい頃猪苗代湖、五色沼、石巻の、
    祖母の弟さんに家にいったりと、
    まだ覚えています。
    幸いにも、親戚の方は無事だったみたいです。
    私の父も単身赴任で仙台市内に住み、
    七夕にもいきましぬた。
    だから余計にあの、崩れてなんにもなくなった
    画像をみると、心がいたみます。
    私の出来る事なんて忘れないでいる事くらいだと
    思っています。
    早くなんとか、普通の生活に戻してあげたいです。
    普通の日常と言う事がいかに大切かを
    みにしみて感じます。

    • admin より:

      コメントありがとうございます
      普通、当たり前  これがどれほど幸せなことか
      無くした時に初めてわかるような気がします
      匿名で結構なんですが、Fecebookにもリンクしているので
      このコメントをご紹介したいんですが、いかがでしょうか?


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