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今日は仕事終わりで、各務原イオン近くにOPENした
MALAIKA BAZAAR 各務原店
元々はイオンの中にテナントとして入っていましたが
今回カフェを併設しての拡張OPENです。
世界各国から集めた雑貨と洋服、キャンプ&アウトドア用品も
Rainbow cafe
店内には観葉植物なども品揃えされていて
ナチュラルで、リラックスな空間
ドリンクとフードもあるので
ロコモコ
スパムご飯
店内はアメリカンそのもの
まだまだ寒さも厳しいのですが
夏が近づくにつれて、いい感じになるのでしょうね~
2021年新作フェアを開催致します!
SNSで話題のブランドドレスを取り揃えていますので
皆さまのご来店を、心よりお待ちしています。
営業日外、営業時間外も
ご来店予約は24時間常時承りますので、宜しくお願い致します。
営業時間外
HP内コンタクト(ご来店予約)
https://www.mk-planning.com/contact/
LINE公式ページからも随時ご来店予約を承ります。
岐阜市の中心地と言えば?
ひと昔なら、間髪入れずに柳ケ瀬と答えると思いますが・・・・
今や、中心部の衰退はかなり進んでいて、郊外に商業施設が増えているので
中心地と言える場所が無いような気もします。
しかし、ここ数年は柳ケ瀬も新しいお店がOPENしたり
マンションの開発が続いていて、高齢化の進展と共に、多少は中心部へと回帰があるようです。
そこで問題なのは?
衣食住のバランスの中で、食を支えるお店が少ない事です。
特に、毎日の食卓で主要食材を安価で提供するお店が殆どありません。
そこへ・・・・・
前は化粧品店だったお店が、閉店してから暫く借り手がいなかった好立地。
※きっと家賃も以前では考えられないレベルだとは思います。
本店が各務原市の那加にある
浅野屋 ASANOYA
表から見ると、ダンボールケースなどに無造作に山積み
安さを前面に打ち出していますが、果物などを見ても鮮度が良いようです。
ドンキホーテが流行っていたのに閉店したのは残念でしたが
かつての輝きはなくとも、やはり人口密度はそれなりに多いので
周辺に住んでいる人達が一度買い物をすれば、リピーターになることは間違いありません。
シャッターを閉めたお店も多い中、こうして新参者的なお店が開店することにより
地域の活性化に繋がるような気がします。
商店街、久しく聞かなくなった言葉ですが
お店(商店)が連なり、街となる
郊外のショッピングモールばかりではなく、たまには柳ケ瀬をぶらりと散歩してみてください。
新着情報・トピックス DUE NEGATIVO(ドゥエネガティヴォ)
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今日は3.11 東日本大震災から10年。
NHKを中心として、様々なドキュメンタリーやドラマが放映されています。
先日観た 星影のワルツ も実話を基にしたドラマだけに
ストーリーはものすごくリアルなのですが、起きた災害の大きさがあまりにも現実離れしていたので
これが本当に起きたことなのか? と思う程、過酷な体験を描いていました。
観ているだけでも胸が苦しくなるような場面ばかりで、震災を経験した人達の苦難は計り知れないものがあります。
震災が起きてからの一年後の私のブログです。
今日は震災から2年の3月11日です
あの日はお店で接客しており、揺れ自体も感じることがなく
その後の報道で、事の重大さに声を失いました
原発事故も重なり、現代社会が受けたことのない程の
多くの尊い命の犠牲と、甚大な被害を受けました
あれから少しずつ復興してきてはいるものの
福島を中心とした避難されている方々の生活は
元に戻れるあてもない状況が続きます
新たな大規模地震などの危険も高まっていて
被害を受けなかった私たちも
いつ同じ状況になるのか分からないのが現実です
夕方のテレビで自らは末期がんに侵されながらも
抗がん剤治療をする時間を惜しんで
産婦人科として新たな命の誕生に立ち会う
そんな医師の姿を追っていました
先生の言葉が印象的です
子供には未来がある
その未来を作っていくのが
今の大人たちの責任です
私の原点と書いたのは
社会人になって、初めて一本立ちの営業マンとして
担当したのが東北、北関東でした
ですから、東北には特別な思いがあります
毎週土曜日の夜に東京の蒲田にある宿泊所に泊り
朝一の特急列車(まだ新幹線はありません)
で、福島県の郡山市に向かいました
地元のうすい百貨店というところの
紳士服売り場で、販売のお手伝いをするんです
常駐の派遣店員さんとは違い
週末だけのお手伝いと、翌日からの出張です
最初は東北弁がさっぱり理解できず
随分苦労しましたが、ホントに温かい人ばかりでした
そこで約一年経験させていただき、他の地区に異動しました
その後、東京でDCブランド系をスタートして
全国を新規開拓に廻りました
福島、会津若松、仙台、石巻、盛岡、八戸、一関
青森、秋田、山形、新庄
一通り歩きましたが、最初の郡山での経験が役に立ちました
お店のあるような大きな都市は、比較的内陸部に多いので
海岸線を行く機会は少なかったんですが
ニュースで見た石巻の光景は今でも忘れません
お取引先の店もあったはずの街が壊滅していました
福島ではシャツ生産をさせていただいていた仕入れ先さんが
全域避難地域となり、工場も同時に閉鎖されました
遠くにいる私ができることは限られていますが
こうしてあの日を忘れないようにすること
そして、自分の思いをブログに残していくこと
小さなことですが
これからも続けていきたいと思います
改めまして
多くの犠牲になられた方々と
大切な人を亡くされたご家族の皆さんに
心より哀悼の意をささげます
避難生活や、仮設住宅にお住いの皆さんの
一日も早い復興をお祈りいたします
私の原点である東北
その東北の皆さんが元気になれますように・・・・